株式会社 田村設計

Kazの設計ざんまい

田村 和雄

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愛知県常滑市・東京都銀座在住

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  • 02/24(日)孫疲れの一日 ○40-9-7

    午前中、孫の通う“生活発表会”・・・二人の孫が同じ幼稚園に行っているので、こうした行事の楽しさは2倍
    さすがは都会の幼稚園の“学芸会”・・・プロの手が入っているのか、踊りも・振り付けも・衣装もストーリーも・・・まるでミュージカルを見る様だ
    次女の女の子は、踊りが大好きで、大勢の中でも上手さはひと際光っていた
    ・・・(孫馬鹿?)
    しかしここまで教えた先生はエライ!・・・しかも親に配慮をしてかどの子も全員が主人公的に配慮がなされている
    お昼は皆で近くの飲食店で労い会
    午後は会場を名古屋市の体育館に移動して、長女の男の子のサッカー大会
    大きな体育館に、幼児用の小さなコートを4面設け、(サッカークラブに所属する)幼児らは、試合時間10分で、10分おきに計3試合行い順位を決める
    ・・・各試合にサッカーコーチが審判で2名づつ付き、結構立派な運営の大会
    コート横で観戦するので、幼児といえどもさすがはクラブ所属の鍛えられた“エリート”・・・大人顔負けに、ドリブル突破でシュートしたり・・・上手さ・迫力・一生懸命さに、見ている内、結構面白く熱中し出す
    ビデオ回しっ放しの親も結構多く・・・応援がダンダン熱くなって来て・・・“**馬鹿!ゴール・ゴール・・・!!”と絶叫する親の声も聞こえ出す
    うちの孫は背が高く走るのも結構速く、攻撃から直ぐにゴール前の守備に走る・・・コーチの教えをキチンと守っているのだろう・・・(孫びいき的)感心!
    自分達の小さかった頃を思い出すと、隔絶の感が有る
    新聞紙を丸めて野球したり、ゴムボールを手で打って野球したり・・・
    ・・・今の子は恵まれている思いと、こうした習い事に属さないと思い切り遊べない不自由さの二つの思いが浮かぶ
    一日孫に付き合って、孫疲れの幸せな一日だった・・・しかし疲れた!

    2008年2月24日 (日) 10:43

田村プロフィール

■経歴 ・昭和47年
名古屋大学建築学科卒業後、恩師の平子勝設計に勤務
・昭和52年
恩師死去による勤務先閉鎖により、個人事務所として独立する。
・平成2年
法人化。バブルの崩壊をいち早く察知し試行錯誤の末、 業種をアミューズメント業界、
中でもパチンコ業に特化し、今日に至る
・平成6年
東京支所開設
・平成7年
ミラノにイタリア人3名雇い、デザインルーム開設
■趣味 出張先でおいしいものを探すこと
■好きな街 ・ミラノ
60才からはここに一年の半分は住みたい
・ニューヨーク
ここへも住みたい。元気になりそう
・名古屋
早足で歩いても人にぶつからない、ストレスの溜まらないイイ街だ
・常滑
恵まれた自然が生んだのか古くから多くの偉人が輩出している。
トヨタの大番頭の石田退三、ソニーの盛田、哲学者の谷川徹三、
東京電力の平岩外四、中野良子、ザ・ピーナツ、(タムラカズオ?)
そして 日本4大古窯の常滑焼き。
魚もおいしいイイ街です。ただ国際空港が出来るのが少し残念。
■特技 純粋に相手の立場に立てる。しかし熱すぎて少し嫌がられること多し
■苦手な事 IT、営業、カラオケ、パチンコ
■一言 すごい時代になったとつくづく思う。 自分の思い・メッセージを世界中、日本中に発信できるなんて夢のようです。 少しでも多くの方と出会い、ITの可能性を存分に試したいと思います。

設計観

建築設計の本質とは、建物と言うハードを通じて家庭の幸せや、 企業の繁栄といったソフトを創造する職業と思っている。そして一作ずつ愛情と情熱を込めて創る。 その思い入れが建物と言うハードに血を通わせることが出来ると信じている。 また日々力量を磨き、自分たちの作品が社会的価値や文化的価値へと 昇華していくことが出来たらとても幸せだと思う。

田村レポート