株式会社 田村設計

Kazの設計ざんまい

田村 和雄

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愛知県常滑市・東京都銀座在住

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  • 11月30日(木) 四国へ

    昨夜、就寝したのは12時半

    今朝6時に起床し、6時半に家を出る

    棚橋君と名駅で8時に待合わせをして、新幹線で四国に向かう

    午後1時半から打合せ予定

    乗り換え・乗り換えで・・・実に片道5時間半!

     

    2時間ほど打合せをして・・・現地を視察し

    再び4時15分の特急で名古屋へ向かう・・・名古屋着9時

    10時帰宅

     

    今日は移動に・・・13時間!

     

    ・・・・・・・・・・・・・・

    日馬富士が引退した・・・当然の結果だと思う

    しかし・・・この事件は何だろう???

    私はあるノンフィクション的推理をした・・・

     

    いくらお酒が入っていても・・・大の大人が・・・

    怨恨でも無く・・・半狂乱状態でもない状況下で、40発も殴り・カラオケの箱で頭を10針も縫うほどの暴力

    しかもそこに白鵬ら多くのモンゴル力士達・・・誰も止めない

     

    結論から言おう・・・

    これは暴力では無く・・・集団リンチだった!?(の推理)

    日馬富士は実行役だったに過ぎない

    手こそ出さなかったにせよ・・・そこにいた連中は全て共犯だったのだ?

     

    相撲界では有望な若手が入ると・・・稽古のフリをしてシゴキ・怪我させる事も有ると聞いたことがある

    幕内力士の数は決まっている

    台頭する若者が自分の地位を脅かす恐れを抱いているのだろう・・・

     

    10数年前の死亡事故も

    相撲界を止めたがっている若者を、リンチの恐怖で止めない様に洗礼中の事故だった

    ・・・推測に過ぎないが・・・同質の物を感じる

     

    貴ノ花親方が黙して語らないのも

    そう推理すると・・・謎が解ける出す気がする・・・そこには(語れない)相撲界の暗部があるのかも???

     

    白鵬は“貴ノ花親方が巡業に行くのなら参加しない”とまで言い出した・・・

    社員が役員に対して

    “あんたとは一緒に出張に行かない”と言うか???

    ここまで言わせては・・・もう相撲界が終わった気がする

    日馬富士は、白鵬にこそ礼儀作法を教えるべきだった

     

    “惡貨に良貨が駆逐されだした”

    国技を外人に委ねる事は価値観的に無理がある

    プロ野球と同じ様に何らかの制限が必要と思う

     

     

     

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    2017年11月30日 (木) 3:27

田村プロフィール

■経歴 ・昭和47年
名古屋大学建築学科卒業後、恩師の平子勝設計に勤務
・昭和52年
恩師死去による勤務先閉鎖により、個人事務所として独立する。
・平成2年
法人化。バブルの崩壊をいち早く察知し試行錯誤の末、 業種をアミューズメント業界、
中でもパチンコ業に特化し、今日に至る
・平成6年
東京支所開設
・平成7年
ミラノにイタリア人3名雇い、デザインルーム開設
■趣味 出張先でおいしいものを探すこと
■好きな街 ・ミラノ
60才からはここに一年の半分は住みたい
・ニューヨーク
ここへも住みたい。元気になりそう
・名古屋
早足で歩いても人にぶつからない、ストレスの溜まらないイイ街だ
・常滑
恵まれた自然が生んだのか古くから多くの偉人が輩出している。
トヨタの大番頭の石田退三、ソニーの盛田、哲学者の谷川徹三、
東京電力の平岩外四、中野良子、ザ・ピーナツ、(タムラカズオ?)
そして 日本4大古窯の常滑焼き。
魚もおいしいイイ街です。ただ国際空港が出来るのが少し残念。
■特技 純粋に相手の立場に立てる。しかし熱すぎて少し嫌がられること多し
■苦手な事 IT、営業、カラオケ、パチンコ
■一言 すごい時代になったとつくづく思う。 自分の思い・メッセージを世界中、日本中に発信できるなんて夢のようです。 少しでも多くの方と出会い、ITの可能性を存分に試したいと思います。

設計観

建築設計の本質とは、建物と言うハードを通じて家庭の幸せや、 企業の繁栄といったソフトを創造する職業と思っている。そして一作ずつ愛情と情熱を込めて創る。 その思い入れが建物と言うハードに血を通わせることが出来ると信じている。 また日々力量を磨き、自分たちの作品が社会的価値や文化的価値へと 昇華していくことが出来たらとても幸せだと思う。

田村レポート