株式会社 田村設計

Kazの設計ざんまい

田村 和雄

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愛知県常滑市・東京都銀座在住

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  • 04/05(火)東京は落ち着き出した 歩(94/400)

    都内は、計画停電が実行されていないせいか、
    東京駅が少し暗い事と、
    駅のエスカレーターがどこも動いていない以外は、落ち着きを取り戻したように見える
    昨夜夕食に丸の内仲通の(行きつけの)“マッコリー居酒屋”に出かけたが、とても盛況で、震災以前と変わらぬ活気を感じた
    午前中、東京事務所で仕事
    午後、名古屋へ移動
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ニュースで、原発避難している方が
    “津波は天災だが放射能は人災だ”と語っていた
    私も全く同感だ
    人災なら当然関係者の責任が問われるべきだ
    ・ 津波高さを5.5Mもの低い数値を出した御用学者
    ・ 5.5Mの危険性を何度も指摘してきた市民団体の意見を聞き入れなかった
      東電の姿勢
    ・ チェック機能を果たしていない保安院
    等々、
    裁判で明らかにして他の原発(と癒着構造)への警鐘とすべきだ
    広島の原爆で、敗戦から60年かけて立ち直り・世界に繁栄を誇った日本が
    福島の原発で、戦争に匹敵するほどの国難を迎えた事は何とも皮肉な事だ
    放射能に苦しんだのだから・・・放射能を扱うべきではなかった(と思う)
    日本は被曝国・原発事故国として、世界に先駆け
    脱原発
    による、自然と融和したエネルギー国に生まれ変わる責務を負ったと思う
    ・・・・・・・・・・・・・・
    破綻寸前まで膨れ上がった国債
    そしてまた復興の国債発行(せずには無理だろう)
    ・・・震災の背後に更に大きな国家存亡の危機が待っている(気がする)
    ・・・・・・・・・・・・・
    夕方、青経塾会合
    5月開催の続きブロック研修に向けての打合せ
    そして2次会

    (さらに…)

    2011年4月5日 (火) 11:07

田村プロフィール

■経歴 ・昭和47年
名古屋大学建築学科卒業後、恩師の平子勝設計に勤務
・昭和52年
恩師死去による勤務先閉鎖により、個人事務所として独立する。
・平成2年
法人化。バブルの崩壊をいち早く察知し試行錯誤の末、 業種をアミューズメント業界、
中でもパチンコ業に特化し、今日に至る
・平成6年
東京支所開設
・平成7年
ミラノにイタリア人3名雇い、デザインルーム開設
■趣味 出張先でおいしいものを探すこと
■好きな街 ・ミラノ
60才からはここに一年の半分は住みたい
・ニューヨーク
ここへも住みたい。元気になりそう
・名古屋
早足で歩いても人にぶつからない、ストレスの溜まらないイイ街だ
・常滑
恵まれた自然が生んだのか古くから多くの偉人が輩出している。
トヨタの大番頭の石田退三、ソニーの盛田、哲学者の谷川徹三、
東京電力の平岩外四、中野良子、ザ・ピーナツ、(タムラカズオ?)
そして 日本4大古窯の常滑焼き。
魚もおいしいイイ街です。ただ国際空港が出来るのが少し残念。
■特技 純粋に相手の立場に立てる。しかし熱すぎて少し嫌がられること多し
■苦手な事 IT、営業、カラオケ、パチンコ
■一言 すごい時代になったとつくづく思う。 自分の思い・メッセージを世界中、日本中に発信できるなんて夢のようです。 少しでも多くの方と出会い、ITの可能性を存分に試したいと思います。

設計観

建築設計の本質とは、建物と言うハードを通じて家庭の幸せや、 企業の繁栄といったソフトを創造する職業と思っている。そして一作ずつ愛情と情熱を込めて創る。 その思い入れが建物と言うハードに血を通わせることが出来ると信じている。 また日々力量を磨き、自分たちの作品が社会的価値や文化的価値へと 昇華していくことが出来たらとても幸せだと思う。

田村レポート