株式会社 田村設計

Kazの設計ざんまい

田村 和雄

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愛知県常滑市・東京都銀座在住

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  • 06/25(土)慶州観光 歩(153/400) 酒×(21/26・13/26)

    昨夜の表彰式・・・
    個人賞以外に団体賞まで設けられ、これ以上賞の思い付き様も無いほど多くの賞が設けられ
    賞を頂かない事は困難な状況下・・・我々のチームは全員何の賞も頂か(け?)ない謙虚なチームだった
    今回で18回目の海外大会
    中止を含まると21回になるそうだ
    一度決めたらトコトンやり続ける姿勢に遠藤照明さんの
    粘り強い企業力を感じる
    役員さん自らが、一生懸命に運営・表彰式を行なう姿はアッパレを差し上げたい
    今日も降水確率100%の中、8時半出発でオプションの慶州観光へ
    釜山―慶州は、70キロほどの距離
    慶州は新羅時代の首都
    到着したら雨は・・・傘無しでも何とかしのげそうな状況
    先ずは10時に、世界遺産の“石窟庵”へ
    花崗岩の仏像が地下風のお寺に納められている
    仏教全盛の新羅時代7世紀に造られたが、朝鮮王朝時代に仏教から儒教に変わり、徐々に存在が忘れ去られ600年の年月を経て
    1900年初め偶然発見され、植民地時代に第1回目の修復がなされ、
    観光に力を入れ出した李ショーバン政権時代に、国策で再び復旧され今日に至るそうだ
    てっきり地下室と思っていたが、
    先ず仏像を彫り、次にドーム上に石を積み上げたそうだ
    7世紀に山の頂上に50トンもの巨岩をどうやって移動したのだろう・・・
    昔来た時(42年前!)は中まで入れたが
    湿気を嫌って観光客は、今は中には入れない
    次に“仏国寺”へ
    ここも同時に世界遺産に登録されたそうだ
    7世紀に当時の新羅の王が両親のために造ったお寺だが、朝鮮王朝時代の仏教弾圧で朽ちて行ったが1970年代に再建された
    日本の法隆寺等と同じような伽藍配置のお寺だが・・・何度もの修復を経て今日に至るそうだが
    建立当時の物は、“石の階段”と“2本の塔(多宝塔・釈迦塔)”とらしいが、多色に塗られた建物は当時を偲ばせる
    日本の寺院も建立当時は同じように極色彩に彩られていた
    お昼は本場の“石焼ピビンバ”を美味しく頂き、
    食後すぐ横の“紫水晶”の専門店をのぞく・・・原石(パワーストーンだそうだ)に少し心が動いたが・・・買って帰ればゴミになるだけ・・・止め!
    その後、“古墳公園”に向かう
    古墳は日本とほとんど同じ
    慶州には古墳が200以上!もあり、幾つかは開発調査をしたがほとんどは後世に残し開発調査を止めたそうだ
    この中で“天馬塚”の内部を見学
    遺品の中に雲の上を走る如くの馬の絵があったのでこの名をつけられた
    陵は皇族の古墳
    塚は皇族の確証が得られなかった古墳と定義されているそうだ
    天馬塚の内部を見ると、古墳を発掘調査しない理由が解る・・・
    棺を納めた木の部屋の上部を石で覆い、更に赤土を盛って造られていてピラミッドのように隠し通路が無いそうだ
    つまり完全な土葬のお墓なので長い年月のうちに木の部屋は崩れるが・・・土・石を退けるのは重機なくしては途方も無い作業で
    盗掘が出来なかったようだ
    次に“雁鴨池(アナプチ)”を訪問・・・新羅王朝の宴会用の離れで、雁や鴨がこの周囲から飛び回る姿から命名されたそうだ
    大きな敷地だ
    大きな池を眺めながらここで宴が繰り広げられたそうだ
    日本の平等院と良く似ている
    池の中から多くの遺品が発見されて展示されていた・・・面白いのは12面サイコロの各面にゲームが書かれていて
    “酒を3杯飲む”とか“楽器の演奏無しに歌う”とか・・・今と同じ様なことをして酒席を盛り上げていたようで、面白い
    観光はここまでだったが・・・
    (悪名高かった)李ショウバン大統領が、高速道路をいち早く造り、こうした観光資源の開発に力を入れていたとは・・・少し見直す
    この国策が有って早くから観光資源を整備した事が今日の韓国ブームの背景になっている気がする
    帰路“免税店”に寄るが・・・何も買う物が無い
    ・・・お金も無いが・・・買いたい衝動が湧かない・・・老いたのかな?
    釜山に来てから使ったお金は
    今日のお寺のさい銭3回分・3000W(240円)だけだ
    ホテルに帰って直ぐバスで夕食会場へ向かう
    海岸近くの海鮮料理店
    釜山名物はシーフード・・・新鮮な刺身が大皿一杯!
    ・・・食べ放題・飲み放題!
    先ず野菜に味噌をのせ、その上に甘辛いタレにつけた刺身を包んで食す
    これがマッコリーとか韓国焼酎に合う
    久しぶりに少し酔うほどお酒を飲んだ
    韓国料理は・・・激辛と甘さが同居している
    日本料理は・・・塩気と甘さのバランスだろうか

    (さらに…)

    2011年6月25日 (土) 8:58

田村プロフィール

■経歴 ・昭和47年
名古屋大学建築学科卒業後、恩師の平子勝設計に勤務
・昭和52年
恩師死去による勤務先閉鎖により、個人事務所として独立する。
・平成2年
法人化。バブルの崩壊をいち早く察知し試行錯誤の末、 業種をアミューズメント業界、
中でもパチンコ業に特化し、今日に至る
・平成6年
東京支所開設
・平成7年
ミラノにイタリア人3名雇い、デザインルーム開設
■趣味 出張先でおいしいものを探すこと
■好きな街 ・ミラノ
60才からはここに一年の半分は住みたい
・ニューヨーク
ここへも住みたい。元気になりそう
・名古屋
早足で歩いても人にぶつからない、ストレスの溜まらないイイ街だ
・常滑
恵まれた自然が生んだのか古くから多くの偉人が輩出している。
トヨタの大番頭の石田退三、ソニーの盛田、哲学者の谷川徹三、
東京電力の平岩外四、中野良子、ザ・ピーナツ、(タムラカズオ?)
そして 日本4大古窯の常滑焼き。
魚もおいしいイイ街です。ただ国際空港が出来るのが少し残念。
■特技 純粋に相手の立場に立てる。しかし熱すぎて少し嫌がられること多し
■苦手な事 IT、営業、カラオケ、パチンコ
■一言 すごい時代になったとつくづく思う。 自分の思い・メッセージを世界中、日本中に発信できるなんて夢のようです。 少しでも多くの方と出会い、ITの可能性を存分に試したいと思います。

設計観

建築設計の本質とは、建物と言うハードを通じて家庭の幸せや、 企業の繁栄といったソフトを創造する職業と思っている。そして一作ずつ愛情と情熱を込めて創る。 その思い入れが建物と言うハードに血を通わせることが出来ると信じている。 また日々力量を磨き、自分たちの作品が社会的価値や文化的価値へと 昇華していくことが出来たらとても幸せだと思う。

田村レポート