株式会社 田村設計

Kazの設計ざんまい

田村 和雄

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愛知県常滑市・東京都銀座在住

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  • 02/07(火)東京へ W77.3

    午前中、溜まった郵便物・書類等、机上整理
    午後東京へ
    4時より都内で打合せ
    中身の濃い時間だった
    国会で“田中防衛大臣イジメ”が加速している
    昨日、国会を途中退場してコーヒーを飲んでいた事で苛められている
    可哀そうだとは思うが・・・
    “今後は国会内でコーヒーを飲まない決意”には笑わされた
    あのオドオドした自信なさげな顔を見ると・・・もう長くはないなーと誰もが思うだろうな・・・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    トヨタの豊田社長が自ら先頭に立ち開発した“86”と言うスポーツカーが発売された
    車の販売不振は、若者の車離れにも大きな原因があると判断し、“車を運転する楽しさ”をテーマに開発された車だ
    私が若い頃、“カローラレビン”という(大衆車)カローラのスポーツバージョンとして発売され、一部の運転好きな若者から熱烈に支持された車だった
    これが開発コードナンバー86にちなんで、
    マニアの間では通称“ハチロク”と呼ばれていた
    この車が人気があったのは
    外国のスポーツカーの輸入は高価で・少なく選択肢が少なかった事が大きな理由だった
    人気が有ったと言っても・・・何万台も売れた車ではなかった
    社長のメンツがかかっているだけにトヨタも力が入っている
    出足は好調のようだが・・・
    購買層の中心は40才以上で、トヨタが狙った若者ではないようだ
    他の国産スポーツカー同様(残念ながら・・・)
    発売当初の一定量をこなすと・・・一定以上の台数は売れないと思う
    デザインもやや平凡で・軽く見え・・・乗用車的でもある
    小さくてもソッリド感・堅牢感が欲しい
    スポーツカーを好むこだわり派の人種は外国車に流れる・・・モットも大事にする“所有するプライド”が国産車に希薄なためだ
    歴史の差だろう
    この歴史がブランドなんだ
    86をブランドと考えるのは少し弱い
    facebook始めました
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    2012年2月8日 (水) 10:45

田村プロフィール

■経歴 ・昭和47年
名古屋大学建築学科卒業後、恩師の平子勝設計に勤務
・昭和52年
恩師死去による勤務先閉鎖により、個人事務所として独立する。
・平成2年
法人化。バブルの崩壊をいち早く察知し試行錯誤の末、 業種をアミューズメント業界、
中でもパチンコ業に特化し、今日に至る
・平成6年
東京支所開設
・平成7年
ミラノにイタリア人3名雇い、デザインルーム開設
■趣味 出張先でおいしいものを探すこと
■好きな街 ・ミラノ
60才からはここに一年の半分は住みたい
・ニューヨーク
ここへも住みたい。元気になりそう
・名古屋
早足で歩いても人にぶつからない、ストレスの溜まらないイイ街だ
・常滑
恵まれた自然が生んだのか古くから多くの偉人が輩出している。
トヨタの大番頭の石田退三、ソニーの盛田、哲学者の谷川徹三、
東京電力の平岩外四、中野良子、ザ・ピーナツ、(タムラカズオ?)
そして 日本4大古窯の常滑焼き。
魚もおいしいイイ街です。ただ国際空港が出来るのが少し残念。
■特技 純粋に相手の立場に立てる。しかし熱すぎて少し嫌がられること多し
■苦手な事 IT、営業、カラオケ、パチンコ
■一言 すごい時代になったとつくづく思う。 自分の思い・メッセージを世界中、日本中に発信できるなんて夢のようです。 少しでも多くの方と出会い、ITの可能性を存分に試したいと思います。

設計観

建築設計の本質とは、建物と言うハードを通じて家庭の幸せや、 企業の繁栄といったソフトを創造する職業と思っている。そして一作ずつ愛情と情熱を込めて創る。 その思い入れが建物と言うハードに血を通わせることが出来ると信じている。 また日々力量を磨き、自分たちの作品が社会的価値や文化的価値へと 昇華していくことが出来たらとても幸せだと思う。

田村レポート