株式会社 田村設計

Kazの設計ざんまい

田村 和雄

田村 和雄

愛知県常滑市・東京都銀座在住

詳しいプロフィールはこちら

詳しいプロフィールはこちら

CATEGORY

ARCHIVE

ARCHIVE

ACCESS

  • TODAY
  • YESTERDAY
  • TOTAL
  • 10/15(火)中部―沖縄―羽田

    中部空港で渡辺君と合流し8時45分のSky Mark 便で沖縄へ
    コンペ案の提出へ
    担当の渡邉君は先週の金曜日から不眠不休のようだ・・・申し訳ない
    彼の為にも何とか取りたいが・・・
    台風26号の暴風圏をかすめてのフライトで
    飛行機は揺れっ放し・・・パソコンで下向きの作業していたら気分が悪くなった
    帰路は東京へ向うが・・・
    台風を追い越して行く事になる・・・また揺れるのかな・・・?
    午後1時より案の説明
    コンペだから何とも言い様が無い・・・競業する他社とこの企業さんの付合いは長そうで良好な関係の様だから覆すのは容易では無いと思う
    (我々が逆の立場だったら・・・淋しいと思う)
    説明後3時に那覇空港に着くが・・・羽田行きが最終の8時50分しかない
    便数が多いので何とかなると思っていたが・・・甘かった
    幾らなんでも6時間弱も空港内で待つ事は辛過ぎるので市内観光に行く事に
    モノレールの最終駅が“首里城”
    30分弱の距離
    雨は降らなかったが強風の中1時間半ほど見学
    中国・韓国の文化を色濃く感じる施設だった・・・特に韓国の“昌徳宮”との類似性は大きい(ほとんど同じプラン!)
    日本とは異なる文化・国だった歴史を感じさせる
    興味が湧きネットで調べると・・・
    琉球王国は明の属国だったが東南アジア・明との貿易で隆盛し国力をつけ
    周辺の国(与那国島・石垣島・宮古島)を侵略し出したが・・・奄美王島への侵攻が薩摩藩の逆鱗に触れ
    アッケなく薩摩藩の支配下に陥った(そうだ)
    再びモノレールで空港に戻り6時着
    空港内で夕食をとり
    出発ロビーで・・・2時間時間消費的パソコン
    8時50分の離陸予定が15分遅れ
    台風26号を追い越す形で左右・上下揺れっ放しのひどいフライトだった
    私は少々の揺れでは動揺しないが・・・
    着陸寸前まで揺れ続けた今回には参った
    フライト時間も15分余分にかかり11時40分羽田到着
    モノレールで浜松町に行き
    JRに乗換え・有楽町着12時15分
    ここも大雨
    大雨の中キャリーバックを引っ張っての移動は地獄・・・しかし・・・“地獄に仏!”
    目の前に客待ちのタクシー!
    自宅着12時半!
    実に・・・那覇空港から9時間掛かった!・・・ハワイまで行ける時間だ
    心身ともに・・・疲労困憊!
    facebook始めました
    お友達になってください!

    (さらに…)

    2013年10月15日 (火) 6:28

田村プロフィール

■経歴 ・昭和47年
名古屋大学建築学科卒業後、恩師の平子勝設計に勤務
・昭和52年
恩師死去による勤務先閉鎖により、個人事務所として独立する。
・平成2年
法人化。バブルの崩壊をいち早く察知し試行錯誤の末、 業種をアミューズメント業界、
中でもパチンコ業に特化し、今日に至る
・平成6年
東京支所開設
・平成7年
ミラノにイタリア人3名雇い、デザインルーム開設
■趣味 出張先でおいしいものを探すこと
■好きな街 ・ミラノ
60才からはここに一年の半分は住みたい
・ニューヨーク
ここへも住みたい。元気になりそう
・名古屋
早足で歩いても人にぶつからない、ストレスの溜まらないイイ街だ
・常滑
恵まれた自然が生んだのか古くから多くの偉人が輩出している。
トヨタの大番頭の石田退三、ソニーの盛田、哲学者の谷川徹三、
東京電力の平岩外四、中野良子、ザ・ピーナツ、(タムラカズオ?)
そして 日本4大古窯の常滑焼き。
魚もおいしいイイ街です。ただ国際空港が出来るのが少し残念。
■特技 純粋に相手の立場に立てる。しかし熱すぎて少し嫌がられること多し
■苦手な事 IT、営業、カラオケ、パチンコ
■一言 すごい時代になったとつくづく思う。 自分の思い・メッセージを世界中、日本中に発信できるなんて夢のようです。 少しでも多くの方と出会い、ITの可能性を存分に試したいと思います。

設計観

建築設計の本質とは、建物と言うハードを通じて家庭の幸せや、 企業の繁栄といったソフトを創造する職業と思っている。そして一作ずつ愛情と情熱を込めて創る。 その思い入れが建物と言うハードに血を通わせることが出来ると信じている。 また日々力量を磨き、自分たちの作品が社会的価値や文化的価値へと 昇華していくことが出来たらとても幸せだと思う。

田村レポート